第3期:尾張国二ノ宮「大縣・田県神社」、三輪大神神社に関わる『神武天皇』の天孫降臨

 次に九州南部日向の地より瀬戸内を経ての東征時、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が速吸之門(明石海峡)に現れて軍勢を先導し、難波の地より大和入りを目指された神武(じんむ)天皇でしたが、登美毘古(とみひこ)と戦われたときに兄五瀬の命(ごせのみこと)が手傷を負われ亡くなれてしまいます。天皇は紀伊の国を迂回して熊野の村においでになられたときに、熊野の山の荒ぶる神の毒気にやられ、兵もろとも正気を失い倒れられてしまいました。このとき熊野の高倉下(たかくらげ)が天照大神・高木の神の二柱の神の指示により一振りの太刀を奉じ、その太刀を天皇が受け取られた時には、自然に熊野の山の荒ぶる神は斬り倒され、軍隊は正気に戻ったといわれます。その地は現伊勢神宮の本宮ともいわれる瀧原宮の近くと思われます。その地よりは高木の大神の遣わされた八咫烏(やたがらす)の導きにより、吉野川河口、吉野の山、阿陀、宇陀、忍坂と荒ぶる神々との戦いに天皇軍の疲れが増してきた折、神武天皇より先に飛鳥の地に天下りしていた邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が参上し、天の神宝を献上してお仕えし、荒ぶる神々を平定して、従わない奴らを追い払って、畝傍の橿原の宮(うねびのかしはらのみや)においでになって、天下をお治めになります。

 この神武天皇の東征に際し、天皇軍の危機の都度そこに現れては協力加勢したのは、すべてが先に降臨していた天火明命・邇邇芸命大国主命を中心に大和の地を平定し、伊勢、尾張を中心に大八州を統治していた神々でした。

 こうして神武天皇は尾張の祖と言われた天火明命の子孫の多大なる協力を得て、大和朝廷を成し遂げその後皇子たちが天皇の意志を継ぎ国力を拡大してゆくこととなります。

 長兄、神八井耳命(かんやいみみのみこと)は、各地へ赴き尾張の祖の子孫と力を合わせて九州の平定、また東国へと勢力を注ぎ、意冨の臣・小子部の連・坂合部の連・火の君・大分の君・阿蘇の君・筑紫の三家の連・雀部の造・小長谷の造・都祁の直・伊予の国の造・科野の国の造・道奥の石城の国の造・常道の仲の国の造・長狭の国の造・伊勢の船木の直・尾張の丹波の臣・嶋田の臣等の祖先となられ、また日子八井命(ひこやいのみこと)は茨田の連・手嶋の連の祖先なられます。

神八井耳命の弟、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)が綏靖(ようぜい)天皇として天下を治められることになります。

 

  参考:  大縣神社 御祭神:大縣大神(尾張国開拓の祖神、神八井耳命の子孫・大荒田命

      摂社姫の宮 御祭神:玉姫命大荒田命の王女、大歳神の子孫・建稲種命の妃)

       田縣神社 御祭神:御歳神素戔嗚尊の孫で、邇芸速日命=大歳神の子)、玉姫神

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