第1期:倭の国、開拓の祖の天孫降臨=国津神の降臨

 これからの記述については、あまり世の中で受け入れてはもらえないかもしれませんが、「邇邇芸命(ににぎのみこと)」の降臨以前に「素戔嗚命(すさのおのみこと)」、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」を始め「天火明命(あめのほあかりのみこと)」、「桜大人(さくらのおおひと)」等、国津神(くにつかみ)と言われる一族の天孫降臨があり、これらの神々が最初に倭(やまと)の地へ降り立ち、国土を開墾していった本来の農耕民族として、お互い助け合いの精神を持った心豊かな民族として、石器時代より縄文時代、弥生時代へと道具の開発等により、大和の地より豊かな土地を求めて、伊勢・尾張の地へと伊勢湾を中心にその繁栄を培っていった民族であったと考えるところです。

 このように考える根拠として、私が生まれ育った神社、現在の一宮市浅井町黒岩にある石刀神社(いわとじんじゃ)は実は三輪大神神社(みわのおおみわじんじゃ)と同じく住居跡とされていますが、こちらに御神体として祀られているのは岩であり、その岩がこの神社の語源と思われます。その岩を割ったとき農耕の道具としての鍬や鋤、または戦いの矢じり等に利用しやすい形に割れる石である処から、おそらく石刀(いわと)と名付けられたのではと、単純に今までは育ってきたのです。 しかしながら、それは大きな間違いであったことにやっとこの年齢になり気が付いたのです。

話が少し横道へそれることになりますが、剣について考えてみたいと思います。郷土萩原出身の詩人、佐藤一栄氏もこの剣について研究されたと伺っております。 なぜ、今ここで突然にと言われるかもしれませんが、私の苗字は「ワキタ」ですが、通常当用漢字では「脇田」と書き、月へんに力が3つですが、私のワキの字は月へんに刀が3つです。幼い頃より親から「家のワキの漢字は力ではないよ、刀だよ」とよくいわれたものです。では力と刀の差はなんであったのかと思いながら今まで過ごしてきました。

今回、このように神代事に関わり、一族の出自を訪ねる研究をしてみようと思い立ち、詳しく調べて行くうちに伊勢に関わりのある苗字であることに気がつきました。ここで当研究会の顧問である田内先生から佐藤一英先生の研究されていた剣についての話を伺い、ツルギとは神様がご降臨されるときに使われる刀の形をした先の尖った木であったとお聞きし、なるほど刃ではなく、また力でもなく、刀であると。

それで私の一族は、刃とか人を切る為の剣を用いる権力・武力ではなく、あくまでも神のお使い役として神社、寺社の祀り事を司ってきた一族であり、神の降臨、あるいは降霊の為の道具「ツルギ」として八重垣の剣など、邪悪を祓い除け、神の言霊(ことだま)を伺い、周囲の者に伝える役割を与えられたのでしょう。

こう考えたとき、初めて私が神のご降霊を目にし、言霊を伺えたのにも何か大きな宿題を頂いたと感じたのです。

 話を郷土史研究の方向へ戻しますが、剣という記述がよく出てきますが、八重垣(やえがき)の剣、汚穢垣(おえがき)の剣、天叢雲(あめのむらくも)の剣、草薙(くさなぎ)の剣は魔除け、邪避け等お祓いごとに主に使用された感があります。ですから八咫鏡(やたのかがみ)、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八重垣の剣を三種宝として天皇家神殿に祀られているのでしょう。こうして刀という字の意味が理解できたとき、「この岩が実は先の尖った刀のような石、即ちツルギとして、神にご降臨、ご降霊頂く為の道具であったのか」、と気づき驚かされた次第です。

また、ある霊力のある先生と出会い、この地に居住されていた神がご降霊された折、『今から千八百年から千七百年前にこの地すなわち琵琶湖から諏訪湖の間を統治していた琴玉姫命(ことだまひめのみこと)である』と申されました。「琴玉」はその先生が記されたあて字ですが、今考えてみますと”音”として聞いたのであり、「言霊」あるいは「事霊」とも考えられます。そんな縁により今回こうして郷土史の研究の仲間として携わることになった次第です。

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