『尾張郷土史の謎』はじめに

ここに記述するはあくまでも私自身の私感です。日本人の一人として直接の系統ではなくとも、どこかで天皇家と繋がっていると思いたいものです。しかしながら「古事記」、「日本初期」が語る天孫降臨等の説話は天皇家の系図等を示しながら、神代の昔より二重三重にその権力拡大のための勢力争いを一族の間で繰り返した歴史を、天皇を継承した側が正当化するために残された書物であると強く感じるものです。何故ならばその都度の天孫降臨における天皇の危機には、必ずや飛鳥の地を起源とした尾張氏の一族と思われる人物が現れては、その危機を救っていることが記述として残されていますが、それ以外尾張の一族のことに就いては一切触れられていません。それは天皇家の勢力争いの中であまりにも強く尾張氏の一族が関わり、また天皇を継承した一族にとって記述として残し難い面があまりにも大きいものと感じるのです。

 ここで天孫降臨とは何かを考えてみますと、いわゆる「国譲り」と言われた一大事業でした。元来「国造りの神」の始祖、国常立尊(くにとこたちのみこと)が目的とされた『ホツマ=秀真(和。調和。直ぐなさま。中道。和し調えること)国』形成の為に、伊耶那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)両祖神の国造りの説話とその子「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の子孫の天孫降臨が中心をなしているのですが、それ以前に各地域に降り立たれた神々の子孫、素戔嗚命(すさのおのみこと)の子孫、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子孫が中心となりその一族縁者が国常立尊(くにとこたちのみこと)の精神を継ぎ、共に協力しあい必死に開墾・開拓し、平定統治してきた国土を天津神(あまつかみ)と言われる後に天下りしてきた神々に譲り渡し、国造り神として其の説話の中心をなした大国主命(おおくにぬしのみこと)が出雲の国へ鎮まったとされる出来事でした。良い表現をした場合「国譲り」ではありますが、それまでには壮絶な戦いが行われ、悪く表現すればそれは「略奪行為」に他なりません。そこで歴史の中で繰り返されてきた天孫降臨的出来事を私なりに第1期から第5期に分けて考えて観ることとしました。

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