今回、萩原公民館まつりに際し事務局長よりの出展要請があり、まだまだ研究途上であり検証もなく出展発表できる段階でない状況ですが、戦後70年を迎え時代的な情勢もあり、この機に僅かでも発表できる部分があればと思い、本当に研究の走り部分ですが出展報告へと一歩を踏み出すことを決意しました。何分にもこうした文章に纏めることに不慣れなため、内容、文字に間違いが多々あるかと思います。何卒ご了承の上、今後の作業及び資料作成に就いてのご指導・ご鞭撻賜ります様お願いを申し上げます。

 

萩原町郷土史研究会

 萩原公民館まつり出展 

「2015年度 萩原町郷土史研究会レポート」 

発表者:脇田 勝(会員No.17)

                                                                                                         

戦 争 と 平 和

 

まえがき、

戦後70年を迎えた日本、本年度国会では憲法違反を問われた安保法案が衆議院及び参議院本会議に於いて与党多数で可決通過をしました。その通過に憲法学者及び若者を中心に反対の声が国会閉会後も続いております。 世界で唯一の被爆国として、世界に類を見ない平和憲法を掲げ、戦後70年・・ やっと日本で戦争のない日々が70年間続いたわけですが、平和(国民、平民)を守る為と政府関係者は訴えての安保法案です。平和の為の武器を携えての戦争法案・・・、私はありえないことかと思います。もっとしっかりその必要性を国民への説明責任を果たすとともに、もう少し審議を尽くしてもよかったのでは・・・。何処かで誰かが犠牲になってしまいます。私自身も戦争で親を失った一人です。

 こうした時代に日本の過去を振り返ったとき、日本は古代神代の時代から、日本国内でも戦争のなかった時代を見つけ出すことは難しいのです。

 この時代だからこそ、私が若かりし頃より、ある神より与えられた宿題を考える時と思い、『尾張郷土史に隠された謎』と題し、「一ノ宮真清田神社」を出発点とし、「二ノ宮田縣神社」、「三ノ宮熱田神宮」、そして終着地「伊勢神宮」への道のりと天皇家の系図を今一度整理するとともに、私、独りよがりの思考かもしれませんが、ここに取りまとめてみることにしました。

 古代日本の国造りに携わった祖神たちが目指した『ホツマ国』とは、果たしてどのような国であったのか

過去の人々が辿った自分達の周り(国民、部族、家族)を守る為に、闘争(戦争)をする政権(国)造りであったのか。

 果たして、過去の日本民族がとってきた同じ道を歩んで行って良いのだろうか。この戦後70年間にわたっての反省とは、誓とは、いったい何であったのか。

今だからこそ、国民一人々が真剣に考えて見る機会を持つべきではないでしょうか。

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